【微忙録】

明日の自分への覚え書き

黒い黒い歴史

黒歴史を焼かねばならぬ。

新入社員として仕事に就くのに際し、生まれて初めての一人暮らしを余儀なくされた。故郷である大都会名古屋市を後にし、人外魔境東京都へと単身、居を移したのだ。東京都民というブランドを手に入れる代わりに、家族(主に愛猫)と離れた生活を強いられたのだ。とは言っても、他でもないこの私が関東圏の勤務を希望した張本人なのだが。

引越しをするにあたり、断捨離に断捨離を極め、私の二十余年は、段ボール箱にして凡そ六つ分に換算された。数年間触れもしなかったものから、大学で使っていたものまで、一切の感情を排して実用性の無いものを捨てまくったのだが、唯一、その機械的処理が及ばなかった物品がある。

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黒歴史ノート。地獄の蓋もかくやといった様相を呈している。

 それこそが、黒歴史ノートである。何の変哲もないお馴染みのCampusノートに、私の中学生から高校生に及ぶ創作物(主に絵)が詰め込まれている。設定を練るだけ練って満足、或いはそれを活かして作品を作り上げるのが当時の私からしてもオーバーワークであると察したのかは定かではないが、投げ出されたもの。流行を模倣しすぎて何が何やら分からなくなっているオリジナルのキャラクター、その時入れ込んでいたアニメや漫画の模写。挙げていけばキリがないが、どれもこれも今の私からすると恥ずかしくて情けなくてどうしようもない代物だ。何より、書いてある設定の意味が理解出来なさすぎて敵わない。きっと誰しも多かれ少なかれそういった時期は通ってきていると思うのだが、趣味で絵を描いていたお陰で形に残ってしまっているのが致命的だ。おまけにパソコンを弄るのも好きだったおかげで、当時のブログなんて代物もついこの間まで恥ずかしげもなく残存していた。無論だが、この文を執筆時点ではそれらの負の遺産は思いつく限り、覚えている限り削除してある。

では、なぜこれらを捨てられないのか?処分できないのか?引っ越しの断捨離に乗じずに、実家からわざわざ一人暮らしの我が家に持ってきたのか?これには恐らくだが理由が二つある。

まず一つは、過去の自分が懸命に描いたであろうこれらを無下にしてしまうのが、今の自分にとって少なからず躊躇われる気がするという点。

次に、ゴミを集積所に出してから回収されるまでの時間に、このノート達が人目に触れる可能性を僅かでも孕んでいるという事実が、私にはなんとも耐え難いという点である。

両者とも精神的な話なので、無理矢理ゴミ出しをして布団を被って大人しくしていれば、ゴミ収集業者殿がつつがなく回収してくれて、然るのちに誰にも知られず灰燼と化し、私の長年の懸案事項は晴れて処理される、という事は頭では理解出来ているのだが、どうにもこうにも処理するタイミングを逃し逃して、引越し後2週間ほど経ってしまい今に至る。

集積所まで歩いて数秒のはずが、いつまで経っても到達出来ないのだ。そもそもこれらを引きずり出して、ビニールテープで括って纏めることすら私の腕は従ってくれそうにない。

恐らくだが、シュレッダーを用いれば安全に処理できる。しかしながら、このためだけにシュレッダーを用意できるほど、今の私の懐事情は芳しくないのである。

挙げ句の果てには引き千切って、少しずつ我が胃に収めてやろうか、などと、心の中の天野遠子先輩が顔を出すのだが、いくら天野先輩でも不味くてとても食べられたものではないのだろう、ということだけは保障をしておく。

こんな駄文を書いている間にも、嗚呼、また古紙回収の日が過ぎていく。