【微忙録】

明日の自分への覚え書き

三大睡眠欲

朝起きるのがつらい。布団から出たくない。家からも出たくないし何なら夢の世界からも出たくはない。毎日毎日玄関の鉄扉は結露を湛え、家主の出勤に涙している、ここ何ヶ月かはそんな季節だ。

基本的に睡眠欲全振り男こと私なのであるが、この時期になるといよいよもって一日を布団で過ごしたいという欲求に抗えなくなる。

私の部屋のベッドの配置は部屋が狭い都合上、唯一の開口部であるバルコニー側に面している。午前6時の冷気はガラス伝いに伝播し這い上がり、筆舌に尽くしがたい。氷獄が限界したといっても言い過ぎているということはないであろう。しかしながら平日には仕事があるため、泣き言を言ってはいられない。生きていくためには仕方がない。私からすればベッドの外は崖っぷち、足を踏み外せば奈落なのだが、働かなければ社会と実生活に死が待ち構えている。留まれども進めども地獄。全門の虎、後門の狼である。

夜更かし大好き眠るの大好き、もちろん会社は朝からある。これは完全に詰みである。

ネット上で調べた限りは、成人の睡眠時間の目安としては7から9時間というのが適当であるように見える。私の睡眠時間は果たしてそのラインに達しているのかどうかと言えば、ウィークデイは基本的に2時以降就寝の7時起床なので、平均しても5時間を下回る。週末に関しては、何の予定のない場合(※基本的に何もない。たまの来客など郵便とセールスのお兄さんだけである。哀しき20代の姿がそこにはある。)、両日とも昼過ぎまで眠っているので平均10時間以上寝ている。眠ろうと思えば食事を採ることなく20時間くらいなら眠ることができる。

コアラである。

私にも彼らのような希少性と愛らしさが備わっていれば、眠っているだけで食事が出てくるマスコット生活を送ることができていたのだろうか、と益体もないことをたまに考える。しかしどう足掻けども腐れども、私は人間であるのだから、それだけ眠ってしまうと、さすがにあまりの刹那主義具合に後悔の念が大量に湧出してくることもある。言うまでもなく、忘れるためにまた眠るのであるが。

こうしてみると、一週間の眠りの平均は8時間を少し下回る程度をキープしているし、休みの日に気合いを入れて長時間眠ればそれを超えることも実に容易い。

などというのはどこも問題の解決になっていない、ということくらいは愚かな私にも理解できている。亡き祖父もよく「人間寝溜めはできない、寝るならちゃんと布団で朝まで寝なさい」と言っていたものだ。そんな彼は夕食後には横になり、風呂から出れば横になり、夜食を食べては横になっていたが、よく考えたらあれが寝溜めでないのならば、一体全体何寝だったというのだろう。死人に口なし、今となっては知る由もないがそんな祖父を結構尊敬していたことは一応ここに記しておく。

問題なのは眠りの総量でなく、一日あたりの睡眠時間なのだ。しかしながら、7時の起床ですらぎりぎりなので、これ以上朝の方向に睡眠時間を延ばすことはできない。必然、早く寝なければ最低限文化的な睡眠時間を保持することはできないようだが、19時頃に帰宅をし、夕食を準備して食べ終える頃には20時を回る。そこから溜まっている録画の消化や、部屋の掃除、洗濯、ごみの始末、ゲーム、落書きなどをすればあっという間に24時だ。風呂に入りベッドに潜り、ニコニコ動画だのYouTube(※最近話題のバーチャルYouTuber、電脳少女シロがおすすめである。我ながら呆れるほどミーハーである。こいつはひでぇや)だの見ようものならあっという間に26時である。言わずもがなであるが、本業のソシャゲ周回も忘れてはならない。

結局のところ、何時に寝たところで翌日の倦怠感には大した差が顕れないことは20年以上も生きていれば把握をしている。寒い朝、眠い眠いと世の中の総てに呪詛を振りまきながらだとしても、今のところ遅刻もなく毎朝会社へ向かえてはいる。賢明な読者諸兄はお気づきのことだとだとは思うが、この記事をここまで読んで得られるものといえば、20代陰キャ男性会社員の自堕落な生活スタイルのみである。ご苦労様である。

たまには益のありそうなことを書こうと思うので、眠たい中業務に従事する際の対抗策、すなわちデスクワーク中の暇つぶしに関して、次回以降の記事に記そうと思う。

すいみん不足

すいみん不足