【微忙録】

明日の自分への覚え書き

無為の一年

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一年が経った

年度も回って、ついこの間まで新人研修などと言っていたのが既に一年前にもなろうとしている。

年をとるにつれ、一年の流れが一層早くなっているのを実感する。

親戚の皆様方におかれましては、お願いだから私のことをまだアラサーとは呼ばないでいただきたい。

 

365日が経過したという中で、その間にこのブログに投稿された記事の数、実に20数件。

 

もしかすると、今年度連載されたHUNTER×HUNTERの話数よりも少ないのではないだろうか。

 

管理画面で数えてみれば40件、書き損じというか生焼けのような、投稿前にぐずぐずに蕩けた記事が、陽の目を見ることなく下書きという名のサルガッソーに埋もれていた。

 

下書きがこれだけあるんだから、実質結構たくさん書いたと思います。

 

などと宣うのは簡単だが、それは

 

宿題をやってきたけど家に忘れちゃいました。

 

と何ら変わりはないのだ。

 

保存がきかないような記事もいくつかある。

そういったリブートもサルベージも出来そうになく、ただただ他の記事が浮上していくのを虚ろな目で見ているのだろうゴミ記事のことを思うと、どうして少しでも生を与えてしまったのか、いっそ生み出さない方が幸せだったんじゃないか、と。

 

生殺与奪を一方的に握る私は、超常的な存在になったかのように思えてきたりもする。

 

労働者として世に放流されて、仕事を一年経験した。

 

毎日朝起きてからは「仕事行きたくない」

 

通勤電車に乗っては「引き返したい」

 

会社に着いては「帰りたい」

 

仕事をしながら「サボりたい」

 

仕事を終えれば、もう何も考えず家路を急ぐ。

 

生きているようで、死んでいるような生活。

 

確かに世の啓発マン諸兄が、「やりがい」だとか「モチベーション」をこの社会という虚無のシステムに求める気持ちも分からなくもない。こんなルーチンがこの先何十年も続くとなれば、抽象概念にも縋ろうというものだ。ただ、他人の成功体験を一般化して、その方法論を自己に適用できると盲目的に信じるのは、ヒーローごっこ遊びと変わりないように思える。健全ではない。

 

私といえば、嫌だ嫌だと思いながらも、特に会社を辞めるわけではなく、未だ労働力として籍を置き続けている。私のようなものが一人や二人いたところで、会社の業績や生産性には僅かも貢献しないのだ。そんな置物を金を払ってまで維持し続ける弊社様には頭が上がらない。もうしばらく雇っていて下さい。

 

私にとっては、仕事は嫌だが、特に辞めるほどでもない。人にはそれぞれ不快感を蓄積する上限があって、溜まる速度が速い人もいれば、減少が緩やかで、出来事を長期間引きずる人もいるのだろう。この嫌だゲージが限界に達した時、人は何かをやめてしまうのだと私は思っている。私は感受性が低く鈍感なので、ストレスの溜まり方も緩やかだ。例えどれだけ月曜日の朝、仕事に行きたくないと思っていても

 

「どうせ今日と明日と明後日とその次と更に次の日会社行けば休みだ」

 

と心の隅で考える楽天的というか現実を見ていない阿呆な私が存在するのだ。

 

一年社会を経験したところで、どうにも変化成長が見込めない自分に、呆れ半分頼もしさ半分である。ちょうど一年ほど前の、このブログ最初の記事で私が危惧していた

 

「会社から見て都合の良い人間にフォーマットされる」

 

事態は、少なくとも防げているように思える。

 

同期の新人は、私の知りうる限り6名ほど会社から離れていった。次の仕事を見つけてから辞める者もいれば、突発的に嫌気がさして会社に来なくなる者も居たそうだ。社会の人間関係が辛かったのか、朝起きるのが厳しかったのか、何かに縛られることを嫌ったのか、はたまた夢を追いかけたのか。それは私の知る由のないことだし、保守的な私には到底真似できない。幸いにも今は超売り手市場、きっと悪いことにはならないだろう。彼らに幸あれ。

 

危険な夢と言われても  スリルのために全てを俺は賭けてもいい

 

そんな余裕を死ぬまでに一度でいいから持ってみたいものだ。