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【微忙録】

明日の自分への覚え書き

新入社員研修というもの

四月もそろそろ終わりが近づき、世間が大型連休に思いを馳せるこの頃、私はというと四月の大半、都会の喧騒から離れ、長閑な土地で日々を過ごしていた。

新入社員研修である。

生来二十余年、多くに従い、流れに抗わない事を是とする私であるから、世の中の学生諸兄と同じく就職活動に励み、大学を出、新入社員として数多ある企業、そのうちの一つに身を連ねることになるのは帰結として当然であった。
今まで遊び呆けていた報いとしての、懲役四十年である。

新入社員とは社会人の幼虫のようなものだ。
手始めとして、研修施設と呼ばれる飼育箱に入れられ、特段美味でもないひとつ300円の弁当と講釈によってぶくぶくと肥やされる。
身動きが取れなくなった新入社員の脳味噌は、自己啓発、社会人としての自覚、確定拠出年金等の小難しい言葉を並べ立てる事により加熱され、さながら蛹のごとく、正体不明の粘性液と成り果てる。
最終段階としてそれを企業理念だとか、規範だとかいった金型に押し込み、企業の思いのままに成型し直す、所謂鋳造行為を以って完成となる。
ここで多少の差はあれど、粗造で急造ながら一定の基準を満たす新社会人が世に羽ばたいていくことに相成る訳である。
やはり時代は大量生産なのだ。
蛾になるか蝶になるか、あとは自分でどうにかしろといった塩梅で、教育担当の方々とは研修が終われば今後大きく関わることもないらしい。
彼らの固定観念を取り払え、と言った口は舌の根も乾かぬうちに苔の生えたような企業理念を我々に植え付けようとしていたし、他の点でも矛盾を感じる部分がなかったわけでもないが、きっと我々以上に早朝から深夜まで奔走し、受ける必要もない講義を部屋の後方から絶えず見張る業務は大変なことであったと思うので、労をねぎらう気持ちを持ちつつ、自分が教育部に回されないよう祈っていたいと思う。

肉体的か、精神的か、はたまた両方か、損傷を受けて疲弊している同期も散見され、また彼らが意味を見出せないカリキュラムに愚痴を溢す光景も多く見られたが、何においても金を払う側だった学生を、金を払われる側の人間に改造するのだ、やはりこの程度の処置は必要なものかもしれない。

人が大勢集まり、先人の遺した思想について思いを馳せ、社訓などを音読する様は、一種宗教的なものを連想させる。
精神を参らせたところに、企業という巨大な拠り所を提示すれば、場合によっては心の隙間に瞬く間に滑り込んでしまう場合もあるだろう。
結局のところ人間も動物であるから、群れないと生きていけないし、誰も彼もがお互い、何かに縋って安心感を得たいのだ。
私は依存という状態が苦手だし嫌いだが、人によって求める拠り所は違うだろうし、それに縋ることで当人達にとって良い方向へ作用をするのならば、わざわざそれを嫌味ったらしく否定する必要もないと思う。
それにここで生まれた会社の信奉者は、もしかすると将来を担う重鎮の一柱となる可能性もある。
そういう同期には是非死力を尽くして頑張って頂きたいし、会社の規模を大きくして私の足元を盤石にしたり、世間から見た会社の評判を上げることで、そこに勤める私の評判も相対的に上げてほしい、そして会社の利益を上げるついでに私の給与も上げてもらいたいところだ。

以上が私の新年度の始まりから数週間を投じて経験した、新入社員研修の大まかな所感だ。
研修中に毎日課されていた講義の感想文において、研修最終日に、私は最も完成度が高かったうちの一人であると表彰をされたが、結局頭の中で考えているのはこのような碌でもないことばかりであり、採用等にも関わっているであろう教育部のベテランの方々も文字からではやはり人間の表層しか読み取ることは出来ておらず、文章で人を推し量るのはやめた方が良いことを、彼らの目には触れないであろうネットの片隅に添えておく。

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研修中の休みにふらっと訪れた鴨川。岸辺には夏用の櫓が整然と組まれていた。